皆様、こにちは。
牧歌ブリ吉です。
所用で香港に行って参りました。
初めて行ったのが80年代の中頃で、香港と言うとホテルが高価だけど、生活費は安い不思議な英国租界地でした。水上生活者がたくさん居て、ジャンク船が港の中に無数に混在していて、これぞ異国という言葉にぴったりの経済観光地でした。
でも、最近行ったドバイと今回来た香港とでは、何が違うのかな、という気分になりました。
世界の都市は均一化しつつ、本来の特性を失いつつあるのかもしれません。
ところで、香港にも英国式のアイコンがたくさん存在します。
インディアン・バルコニーと呼ばれる建築様式。エアコンの無い時代に、涼を取るためにデザインされた庇付きのバルコニーです。日本の英国大使館も1923年の関東大震災で崩壊される前はこのような建築様式でした。
よく見ると、世界の歴史を変えたアームストロング砲も。
ニューカッスルで製造された製品が、アメリカの南北戦争、日本の幕末、そしてインドや香港での大英帝国の所轄領有に貢献したのですね。
ブリ吉はこういう製品を見ると、ニューカッスルに行きたくなります。
なりませんか?
現地に行って、工場の跡地を見たり、現地の図書館や郷土資料館に行っては学芸員と話して、当時の人々が考えていたことに触れたり、製造者のウィリアム・アームストロングの人生の軌跡を辿ってみたくなります。たぶん、普通の旅行会社にはその種のツアーは無いと思いますが、最近はオーダーメイドのツアーを作ってくれる旅行会社もあるので、キーワード検索で探してみることをお奨めします。
実は、ブリ吉もその端くれをしていたことがあります。
「ロンドンの達人」とは、あまり根拠のない呼ばれ方でしたが、ロンドン裏道案内をしていたことがあるのです。公認ガイドさんのお手伝いという役割ということでしたが、実際はブリ吉ばかりが喋るガイドでした。もちろん、公認ガイドさんには知識も話術も叶わないのですが、ブリ吉のマニアックな知識や情報を喜んで下さるリピーター様専用のご案内をしたことがあるということです。
数は減少しつつありますが、香港には英国のアイコンがまだいくつか残っていました。
アイスクリーム・バンは英国と同じスペック。呼び出しの曲まで一緒でした。80年代に鎌倉に棲んでいた妻(英人)は、アイスクリーム・バンが来たと思って戸外に出ると目の前に現れた車はゴミ収集車だったそうです。ゴミ収集を伝えるか、アイスクリームの到来を告げるか、同じ曲でもその責任は重大ですね。
アイランド(交通避難帯)も英国式の名残です。
さて、残っていたアイコンだけでもなくて、近年進出した英国発の店もあります。
M&Sは香港の至る所にあります。
どこのM&Sでも店内は英国人だらけでした。
でも、冷たいクスクスのサラダを英本国の3倍の料金で食べたいとは思いませんでした。
食べたいなら、英国に行くべきです。費用の面でも、本当においしいモノを見つけるのなら、英国の普通のスーパーに行けばいいのです。ブリ吉には観光地以上に魅力的です。
なぜなら、おいしい英国食はたくさんあるし、英国人も知らないほど英国には魅力がいっぱいだからです。
以上、ブリ吉でした。
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