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ブリ吉in New York

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皆さま、こにちは。時差ボケの牧歌(ボッケ?)ブリ吉でございます。

所用でニューヨークに来ております。
と言っても、けっこう自由時間があるので、兼ねてから行ってみたかったところに出没しては、メリケン国のあちこちに英国を感じてまくっております。

言い換えれば、改めて英国と世界との繋がりを認識した気もしています。

 
【グランド・セントラル・ターミナル駅。大英博物館やロンドン・キングスクロス駅との共通点をあちこちに見せる出で立ちは、大理石をふんだんに使ったヴィクトリア調を思い起こさせる建築様式。1913年築とは、世界大恐慌前の豊かさを示した象徴的存在と言えるかもしれません】


英国発テレビドラマ「ダウントン・アビー」がアメリカでも大人気であることは、皆さまご周知と思いますが、宿泊先のホテルのロビーでは朝食から「ダウントン・アビー」という発言をオーストラリア人や、ニュージーランド人などダウンアンダーの英連邦の皆様から聞き及びました。

 

アメリカ人も含めて、その人気の理由は回顧的であり、自分の祖先たちと英国との関わり、そして「自分とは何か」という知的好奇心からこのドラマに興味が湧いて来ているのだなあ、ということが知れます。

仕事(モノ書き以外のブリ吉の生業)で、ある米系財閥の方々とお目に掛かったのですが、ほとんどの皆様の祖先は英国人でした。200年ほど前にその祖先がアメリカに渡り、100年ほど前に事業を成し遂げると、大金持ちになって、英国貴族たちとの婚姻を果たしたというご先祖をお持ちの方々でした。



 

【聖パトリック大聖堂外観。大き過ぎて、縦には入りきれませんでした】


 

【北米最大のカソリック教会セント・パトリック教会の大聖堂内。約9000本のパイプを備えたパイプオルガン。日本とアメリカが修好通商条約を結んだ1858年に着工し、南北戦争を挟み1888年に完成。隣接するロックフェラー財団との関係も深い?】

その種の英米結婚と言えば、クローリー家に嫁いだコーラ様ですね。実在の人物で言えば、第二次大戦前から英国の首相を務めたウィンストン・チャーチルの母上ジェニー様もブルックリン生まれで、アメリカの富豪のご令嬢でした。この頃、日本の政府が江戸幕府から明治政府に移行する頃ですが、アメリカでは南北戦争が起こります。この戦争の期間にアメリカは内政に集中しますので、最も親しかったアメリカがあたかも日本から撤退するに近い状況になると、英国と日本は急接近し、その後第二次大戦直前までの日英の外交関係に大きな影響を与えます。我々が英国に敬意を払い、憧憬の念を持つようになった歴史的背景には南北戦争が関わっていたのです。

その後は、アメリカンビジネスで台頭した商人たちが故郷に錦を飾るかのように、先祖の故国英国に向けて様々な文化交流が始まったのです。

 

【セント・パトリック教会のステンド・グラスのひとつです。誤解を受けて火あぶりの極刑に処せられる信徒フローレンスの図。これだけの配色が施されたステンド・グラスは相当高度な技術です。しかも、本来は字の読めない民衆に宗教教育するためのステンド・グラスなのですが、19世紀後半の新興時代のアメリカにあっては、贅を尽くした作品として仕上がっています。これも心の本国である英国に対するアメリカ人の強い思入れがあるのでしょう】

人はお金を持ったり、権威を得たり、土地を持ったりすると、最終的に欲しくなるのは名誉です。名誉とは王様など国家権力の中枢にその存在を認めて貰えるステイタスシンボルのことです。勲章とはまさにそのひとつであり、その位が階層になって、伝統的な軍務階級から始まって貴族社会が構成されているのです。しかし、歴史の短いアメリカには名誉を築く方法がありませんでしたから、既に存在する名誉を求めて、先祖の故国英国の伝統社会にすり寄ったのです。

一方で、英国の貴族社会は産業革命や航海時代の物流のイノベーションによって新興階級の起こしたヴェンチャー・ビジネスに支えられていたのですが、ビジネスに限界が見えてきたヴィクトリア女王の時代の終わりごろ(1800年代終盤)から財政破綻を起こす貴族が出現し始めたのです。

そこへ現れたのが、アメリカのニュー・リッチです。鉄鋼のカーネギーや石油のロックフェラーなどはその代表です。家柄を重視する英国貴族としても、宗教観に多少の違いはあれども、同じ英語を話すアメリカの大金持ちであれば、お付き合いのバランスも取れるでしょうし、一旦家族となってしまえば、その財産を取り込んでしまえるわけですね。

「ダウントン・アビー」のコーラ様はアメリカの鉄道敷設権やら株式を保有し、それをクローリー家当主のロバート様に委ねていましたけど、その後鉄道会社の経営破綻で、権利や株の価値を失ったという話でした。当時のアメリカの鉄道敷設、つまり明治時代ですから、多くの日本人が大陸横断鉄道の労働者として参加したという記録が残っています。ブリ吉の家系でも曽祖父の兄弟の何名かがアメリカに渡り横断鉄道敷設工事に関わり当地で落命しています。多大なる犠牲を以ってインフラ工事は成功しても、マーケティングの考え方がまだ初歩的な時代ですから、その後の商売に繋がらないこともあったわけで、当時の鉄道もまたヴェンチャー・ビジネスであり、その後の経営リスクも大きかったということです。

ハイクラス・ソープオペラ(主夫のドラマ)と言われる「ダウントン・アビー」ですが、ブリ吉に語らせると、以上のように歴史的背景の話になってしまいます。

「ダウントン・アビー」のサブタイトルは「貴族とメイドと相続人」とされていますが、ブリ吉にはあの屋敷が当時の世界の縮図として、且つ歴史の相関図として見えてしまうのはやや穿ちすぎでしょうか?

今回ブリ吉はニューヨーク発の記事でしたが、皆さまにあっては英国に対する理解の材料を提供させて頂いたつもりでおります。

以上、ブリ吉でした。


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