皆様、こにちは。
牧歌ブリ吉でございます。
1970年代の中学生時代、周囲がやたらとビートルズだのギターだのと話題にしていたのですが、音楽にあまり興味のなかった当方でも、中2音楽の教科書にYesterdayが掲載されると歌わずにおれなくなりました。
音楽担当の先生も甚く熱心で、ビートルズソングをいくつか教えて貰うものですから、登下校中に同級生と大合唱したものです。と言っても、意味も分からず、英語に片仮名のルビを振って日本人の英語で楽しくやっていたのですね。しかも、ギターをエレキギターに持ち替えた早熟な同級生は「やるよ」とBeatle`s 80という歌詞本を当方にくれたために、なぜか有り難味を感じ入り、その80の歌詞を殆ど覚えてしまったのです。もちろん、当時の語学力では意味は判りませんし、英語の教師は近寄りがたい人だったので、歌詞の意味は「まあ、いいや」と思っていました。
その若い頃の擦り込みというのは大変なもので、いつでもどこでもビートルズの歌が諳(そら)んじられるほどになっていたのですが、ビートルズというグループのことはまるで判っていませんでした。たぶん、今でもよく判っていません。
ビートルズに思い入れなど無いと言うと、皆様からお叱りを受けそうですが、誰もが好きな筈の越前蟹でも当方には豚に真珠なので、どうかご容赦下さい。
ビートルズの彼等はいまだに出身地への貢献を続けています。1970年の解散以来、リバプール地域では少なく見積もっても230,800の就業機会を創出したとのことです。それは実に100の職種のうちの1つはビートルズに関与するモノなのだそうです。なんだか、町興しの材料、ノウハウとしてリバプールに行って確かめてみたくなります。…なりませんか?
また、ジョン・レノンやポール・マッカートニー卿の棲んでいた家を見に来る観光者は1990年から4百万人にも及ぶとのことで、The Beatles Storyに関わるイベントには年間1万人以上が訪れ、135名の職員が対応しているとのことです。本当かどうか、そしてThe Beatles Storyが気になるので行ってみたくなります。 …なりませんか?
これだけ観光客がくれば、宿泊も必要です。その宿泊にもけっこう特色があります。リバプール市内のホテルではビートルズ関連のイベントが順繰りに行われていたり、各ホテルには知られざるビートルズの逸品が置かれていたり、ビートルズの絵画がずらっと並んでいたり、各ホテルの趣向が凝らされているのです。そんなホテルに泊まってみたくなります。…なりませんか?
また、リバプールを離れて、イングランド南端の島ワイト島にもビートルズの歌に関わる街があります。 その歌「涙の乗車券」と言うと、なにやら演歌風なタイトルと言う人もいますが、それは違います。なぜなら、演歌の涙は梅雨を表すメタファーであります。苗の植え付けをする労働期間、恋人にも会えないほど一生懸命に仕事しなければならない辛さゆえに、泣いて出て来る涙を梅雨と一緒に流そうということなのです。そんなわけで、演歌好きな日本の農民が梅雨時に乗車券を買う訳がないのです。当方であれば、「別れの乗車券」というタイトルにしたいところです。
原題は” Ticket to Ride ”ですから、列車に乗るためのチケットなわけで、しかもRideはワイト島のフェリー港Rydeと韻を踏んでいます。つまり、1960年代のRydeはロンドンやリバプールからすると、「とても遠いところ」というメタファーになるのです。そんなことを知ると、ワイト島にも行ってみたくなります。…なりませんか?
日本でも、「ジョン・レモン」というメロンパンのようなレモンパンが売り出されたり、トーホグか信越のどこかの農家が白い☆型をリンゴに付けて売り出したリンゴ・スターなど、プレミアム商品が出たこともありました。