皆様、こにちは。
牧歌ブリ吉でございます。
今回は、英国と韓国が国交を開始した港湾都市の仁川からです。
ブリ吉のマニアックな趣味のひとつとして、「世界中に広がった大英帝国の足跡を見つける」というテーマにお付き合い頂いておりますが、今回も日本で言えば、港ヨコハマと江戸幕府直轄領であった港湾都市長崎の両都市を彷彿とさせる街に引き寄せられて来ました。
その街こそ、今世界で一番の国際空港を持つ街、仁川(インチョン)でありまする。
ご案内下さった方は友人の伝で偶然に知り合った仁川ご出身の韓国人紳士H様でした。日本に留学され大学院を出て、完璧な日本語を話されます。ブリ吉と同世代ですから、韓流ブームの始まるずぅっと以前から日本に注目し、心から日本と故国を愛する人物であるだけでなく、民間の外交使節とも言うべき御仁であります。
事の発端は、SNSでブリ吉が何気なく伺った質問にすぐに反応して下さったことでした。
【韓国語では、「チェ」音と「ジェ」音とに個人差が出るので、英語表記が微妙に変わることがあります。仁川駅から3つ離れた駅名が、ブリ吉の問い合わせたチェムルポの駅でした。英国の外交史料には、1882年に韓国を訪れた英国の最初の外交使節がこの地名に領事館を設置したと記録されています】
「Hさん、韓国最初の英国領事館がChemulp(o)と書かれた歴史資料を持っているのですが、ここが仁川(インチョン)の旧名であるのか、どこなのか判然としないので、もしご存知でしたら、ご教示下さい」
というブリ吉の質問に即答して頂き、その数日後には仁川に住むH様に会いに行って参りました。
【巨大な港湾都市は、横浜や長崎を思い出せます。最初の英国領事館はこの景色の高台に置かれたのです】
【英国領事館設置の記念樹です】
その後、英国の軌跡を求めて租界地と居留地をうろうろ…。
大日本帝国の足跡は多く認めらましたが、当記事はあくまで英国の紹介です。
【居留地から移転させられた外国人墓地。ここにオペラ「蝶々夫人」の軌跡を見つけました】
【蝶々夫人のモチーフとなったトーマス・グラバーの奥方ツルさんの娘さんハナ・グラバーさんのお墓です。英国人の名誉領事ベネット氏と結婚され、仁川で落命されました】
他にも、10名様のほどの英国人が、太平洋戦争以前からこの仁川外国人墓地に眠っています。
韓国で客死した皆様に合掌と黙祷を施しつつ、英国に関わる邦人としてのある義務を感じました。
今回、案内されたH様が仰るには、
「故国を離れて客死するなんて、とても寂しいじゃないですか!」
そのとおりです。
彼らの子孫を探して、お参りして貰うことが、故人の孤独を癒すことにはならないでしょうか? それが今回持った義務感です。
実現できるかどうかは判りませんが、仁川という街を拵えてくれた先達のメンバーとして、英国人の彼らが、現代の仁川を楽しませて貰っている我々の先祖として含まれるのは当然ではありませんか。だからこそ、オペラ「蝶々夫人」が我々の心に響くのですよ。
過去を知り、歴史という連続する時間と時間との接点を学び、現在の我々は未来に向かうのです。
ブリ吉が英国で街を歩きながらマンホールと人類の将来について考えることと、今回の仁川体験は歴史の接点から学ぶという意味ではまったく同じことなのです。笑!
ともあれ、日英韓でも、韓英日でも、順番は関係ありません。
仁川(インチョン)はこれら3か国を繋ぐ素晴らしい出会いの場になりました。
もちろん、皆様には英国に足を運んで頂きたいのですが、英国と日本、さらに英国と世界との関係を感じて頂けると、人生が豊かに感じられるかもしれません…のことよ。
因みに、ロンドンにも外人墓地があります。
カール・マルクスなど世界史上の偉人に触れてみる機会になるでしょうか。
マルクスも故国プロイセン(現ドイツ)を離れて、異国の地ロンドンで落命したのですから、寂しかったことでしょう。皆さんもお参りして、弔ってあげてください。
詳しくは、以下のウェブのWho`s hereをクリックして参拝したい人物をお探しください。
【けっこう荒れていて、怖いかも】
以上、ブリ吉でした。
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