牧歌ブリ吉です。
1871年から2年間、岩倉具視が使節団を組んで欧米を視察したことはご存知の方も多かろうと思います。そのヴィクトリア女王時代に英国滞在していた岩倉具視が部下に呟いた一言は、その後の日本の在り方を占うものでした。
「たぶん、日本は数年でこの文明に追いつけるだろうな」
この発言について、岩倉具視が掲げた興味深い根拠をいくつか挙げると、産業革命の頃から1870年頃のインフラが割と短期間に整えられていること。欧州のどの街も江戸(東京)ほど大規模でないこと。欧州最大都市のロンドンでも江戸ほど識字率が高くないこと…などなど、欧州の国々と比較しても、日本が短期間に発展していける素地を備えているという確信を得る視察になったようです。
実際、日本はそれから30年間で条約改正を施し、農業国から工業国へと変貌し、日英同盟を結び、ロシアと戦争までしているのですから、岩倉具視の呟きもあながち間違っていなかったことになります。
かつては500円札の紙幣にもなった岩倉具視も歩いた1870年代のロンドンの街並みは、今でもけっこう変わってないところが多いのです。それゆえに、「誰それがここに棲んでいました」という銘鈑を現代の外壁に掲げることが可能なのです。そして、今や歴史マニアのための旅行インフラとして、歴史散歩のテーマのひとつとなっているのです。
そのインフラとは、これ!
著名人がかつて住んだ家、あるいは歴史的な出来事の起きた建物の外壁に掛けられています。最初のブループラークは、詩人バイロンの生誕地であるメリル・ボーンのホール・ストリートに設置されたもので、1867年のことでした。岩倉使節団の来英の頃には既にいくつかのプラークが設置されていたんですね。
大きさは直径48センチメートル(19インチ)で、当初は鋳物でしたが、昨今は樹脂で作られています。ほとんどがこの青い色で円形をしています。
設置を始めた組織は英国王立人文科学協会で、その数は13枚ですが、その後ロンドン・カウンティ・カウンシルが249枚設置しました。さらに、この事業はグレーター・ロンドン・カウンシル(GLC)に業務移管されて、その設置数は262枚。マーガレット・サッチャーによってGLCが閉鎖されると、その業務はEnglish Heritageに移管され、2013年末現在では800枚以上がイギリス国内で設置されています。
モーツアルトなど音楽家のプラークはロンドン市内に複数以上設置されています。
ジョン・レノンのプラークも2010年にモンタギュー・スクウェアに設置され、奥さんのオノ・ヨーコさんが除幕式でベールの入鋏をされたそうです。
メイフェアのサウスストリートには、趣深い2つのプラークが斜めに向かい合っています。一つは「クリミア(戦争)の天使」とか「看護学の始祖」と言われたフローレンス・ナイチンゲール(1820~1910年)。もう一人はキャサリン・ウォルターズ(1839~1920年)という同時代に同じ通りのはす向かいに住んでいた女性です。ウォルターズは皇太子時代のエドワード7世や当時の政財界の大物をパトロンにした高級娼婦です。ナイチンゲールは看護学よりも統計学でノーベル賞候補になるほどの功績をあげた人物であることはあまり知られてないようですが、その統計学によって傷病率を計算し、データを視覚化したことで、ヴィクトリア女王に認められ、それ以来王室軍の誇り高い猛者たちに対して、その完璧な理論と科学的根拠ゆえに、戦地での医療や看護について絶対的な権威を持つようになりました。
Skittles(スキトルズ)とは古来のボーリングのピンのこと。ウォルターズの以前の職業であったという説と、彼女の体型がスキトルズのようにくびれていたからという説があります。
つまり、ウォルターズはその掌の上で男たちを躍らせ、ナイチンゲールは専門分野で男たちの前で権威を発揮した人物なのです。この両人が同時代に、同じ通りのはす向かいに棲みながら、まったく交流がなかったのに、メイフェアの一角で静かに男たちを手玉に取っていたということです。
そして、この二人は今でも、はす向かい合わせになってブループラークに記念されているのですが、そのプラークを見てみると大きな違いがあります。ナイチンゲールのプラークはロンドン・カウンティ・カウンセルが設置した公のものですが、ウォルターのプラークには設置者の記載がないのです。つまり、ウォルターズのプラークは彼女のファンや、英国の政財界の男たちを裏社会で牛耳ったことに粋を感じた有志たちによって設置されたのです。
江戸には粋を感じる江戸っ子がいるように、ロンドンには粋を重んじるロンドンっ子がいるんですね。
牧歌ブリ吉
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